SAGA ANSHOZAN KOKUSO-JI

2026.11.01 台湾慰霊 閲覧数 4

台湾最南端の日本寺院『潮音寺』バシー海峡慰霊祭と日蓮宗のつながり

台湾の1番南に、日本人が建てた慰霊のお寺がある。

高雄を朝に出て、車で2時間半。墾丁のリゾートのにぎわいを抜けると、道は急に静かになります。猫鼻頭という岬の手前、道路脇に海へ向かって建つ白い2階建てのお寺が潮音寺です。

昭和19年8月にバシー海峡で輸送船を沈められ、12日間漂流して生き残った中嶋秀次さんという方が、昭和56年に私財で建てた戦没者慰霊のお寺です。

潮音寺の由来と、2023年6月に初めてご祈祷とご供養をさせていただいた時のことは、前に「バシー海峡に眠る英霊たち」に書きました。この記事ではその後わかったこと、慰霊祭の歩みとこのお寺のつながりを書きます。

猫鼻頭の磯からバシー海峡を望む(2023年6月)
猫鼻頭の磯からバシー海峡を望む

バシー海峡は「輸送船の墓場」

バシー海峡は台湾とフィリピンの間、およそ150キロの海峡です。

昭和19年から20年にかけて、フィリピン決戦へ向かう日本の輸送船が米軍の潜水艦に次々と沈められました。沈んだ船は5,000トン以上のものだけで200隻を超え、犠牲者は少なくとも10万、最大で26万とも言われます。正確な数はいまもわかっていません。それだけの方が、いまもこの海に眠っておられます。

中嶋さんが乗っていた玉津丸は、昭和19年8月10日に伊万里湾を出た「ヒ71船団」の1隻でした。伊万里つまり佐賀から出港した輸送船20隻、兵員3万7,600名の大船団は8月18日の夜、暴風雨の中で護衛の空母大鷹を沈められて散り散りになり、翌19日の未明、玉津丸は魚雷を受けて沈みました。乗っていた4,820名のうち助かったのは65名。中嶋さんは当時23歳、独立歩兵第13聯隊の通信兵でした。水も食糧もない筏の上で毎朝ナイフで刻みを入れて日数を数え、12日目に海防艦に救われました。

戦後は静岡で暮らしておられましたが、目の前で沈んでいった仲間のことがどうしても頭から離れず、還暦を前にして台湾へ土地を探しに来られました。選ばれたのは、遺体が流れ着き、地元の人が1人ひとり葬ってくれた浜の近くでした。

潮音寺正面。道路からは気づかずに通り過ぎてしまいそうです
潮音寺正面。道路からは気づかずに通り過ぎてしまいそう
堂内に掛かる「潮音寺創建人 中嶋秀次氏」の写真
堂内に掛かる「潮音寺創建人 中嶋秀次氏」の写真

潮音寺は昭和56年8月に完成しました。白い2階建ての建物でご本尊はお釈迦さまです。2階が本堂で、前庭に観音像が立っていて、その先に海が見えます。堂内に残る記念写真には「昭和五十六年十二月二十四日」の筆書があるので、建った年の暮れに僧侶とご遺族が集まって最初の慰霊法要をされたことがわかります。

昭和56年12月24日の慰霊法要の記念写真(堂内)
昭和56年12月24日の慰霊法要の記念写真
2階の本堂。慰霊祭の読経と焼香はここで
2階の本堂。慰霊祭もここで営まれます
前庭の観音像。道の先がバシー海峡
前庭の観音像。道の先がバシー海峡

慰霊祭は戦後70年から始まる

潮音寺が建ってから30年あまり、ご供養は細々としか続いていませんでした。

当時日本人は台湾で土地を持てないという規制があり、中嶋さんは台湾の協力者の名義で登記したのですが、世代が替わると権利がこじれて、2009年には土地が第三者に売られて取り壊しのおそれがあるとまでなってしまいます。裁判と和解を経て潮音寺の関係者が地権者になったのが2015年。残念ながら中嶋さんはその決着を見ないまま、2013年10月に92歳で亡くなられました。

戦後70年にあたる2015年、日台の有志でつくる実行委員会による慰霊祭が始まり、ご遺族を中心に180人を超える方が潮音寺に集まりました。以来毎年続いていて、2024年で10回目。この年、潮音寺管理委員会と慰霊祭実行委員会は外務大臣表彰を受けられました。2025年には153人が参列して、初めて厚生労働大臣の弔辞が届いたそうです。

慰霊祭の集合写真(潮音寺正面)
慰霊祭の集合写真(潮音寺正面)

潮音寺を守ってきたのは台湾の人たちです。

いまの地権者で管理委員会の委員長を務めておられる鍾佐榮(しょう・さえい)さんは、高雄で土産店のお店を営んでこられた方です。中嶋さんとの出会いが始まりで、中嶋さんが亡くなられたあとは私財を投じてまで潮音寺を守り続けてくださっています。

永村伝師と日蓮宗の荒行僧たち

長崎・佐世保の本興寺に、永村日鵬(ながむら・にっぽう)正伝師という方がおられました。世界3大荒行ともいわれる日蓮宗の大荒行を延べ3,300日成満され、「水の行者」と呼ばれた伝説の行者です。九州でご祈祷といえば永村伝師、と言われた修行界のレジェンドです。

永村伝師は荒行を終えると、修行を終えたばかりの僧侶と信徒を連れて毎年沖縄と台湾へ慰霊の修法に行かれていました。記録はあまり残っていないのですが、終戦50年の慰霊法要の記録には、この年で沖縄は20回目、台湾は13回目とあります。この時は総勢90名ちかい僧侶が潮音寺で修法法要を営んだあと、ガランピの浜で海に向かって慰霊法要をしています。

ガランピ潮音寺(1995年3月、『水の行者』より)
ガランピ潮音寺(1995年3月、『水の行者』より)
バシー海峡での慰霊法要(1995年3月、『水の行者』より)
バシー海峡での慰霊法要(1995年3月、『水の行者』より)

ことば

大荒行(だいあらぎょう)と伝師(でんし) 日蓮宗の僧侶が千葉・中山法華経寺で行う100日間の修行。真冬に1日7回の水行と読経を続けます。この修行を指導する役が伝師で、永村上人は長くこの役を勤めました。

金子日威管長の額「恩人蒋公」

お寺の2階、ふだん閉まっている部屋に「恩人蒋公」と書かれた額があります。落款は「日蓮宗管長 池上八十世 日威」。当時の日蓮宗管長・金子日威猊下の筆です。猊下というのは管長への敬称です。金子猊下は東京・池上本門寺の第80世のご住職で、日蓮宗の管長も務められた大変有名な方です。

金子日威管長の額「恩人蒋公」。傷みが進んでいます
金子日威管長の額「恩人蒋公」。傷みが進んでいます

額と並んで、蒋介石の肖像のレリーフが掛かっています。両脇に「以徳報怨」「懐恩永誌」。敗戦のとき大陸に残された日本人を帰国させてくれた蒋介石の「徳をもって怨みに報いる」という言葉を忘れないために、建立当時の人たちが納めたものです。日付は中華民国70年ですので、潮音寺が完成した1981年のことです。

蒋介石の肖像レリーフ。「以徳報怨」「懐恩永誌」
蒋介石の肖像レリーフ。「以徳報怨」「懐恩永誌」

堂内にはたくさんの位牌があり、これまで慰霊供養が続けられてきたことがわかります。

「妙法 バシー海峡周辺戦死水没者之諸霊位」の位牌。隣は「萬國海難者諸精霊」
「妙法 バシー海峡周辺戦死水没者之諸霊位」の位牌。隣は「萬國海難者諸精霊」

それでも続いてきた供養

先師たちが続けてこられた供養は30年近く途切れてしまいましたが、その思いだけは台湾と日本の誰かが受け継いでこられ、お寺は今日まで残っています。

境内の平和祈念碑。日本語の碑文が刻まれています
境内の平和祈念碑。日本語の碑文が刻まれています

慰霊祭に参加するには

慰霊祭は毎年1回、通常は11月に潮音寺で営まれます。2025年は戦後80年でした。日本からは、ご遺族でなくても参加できます。

個人で参拝される場合は、お寺はふだん施錠されていますので事前に連絡が必要です。

潮音寺の沖に広がるバシー海峡(2023年6月)
潮音寺の沖、バシー海峡。

台湾に残る日蓮宗ゆかりの4ヶ所をまとめた記事「台湾に残る法華の足跡をたどる。台北・台中・高雄・鵝鑾鼻。」もあわせてどうぞ。

アクセス

アクセス

寺名 潮音寺

住所 屏東縣恆春鎮下泉路72號(猫鼻頭公園入口のすぐ手前)

車 高雄市内から約2時間半。高速道路で枋山まで、そこから台26線を南下

公共交通 高雄から墾丁快線バスで恆春まで約2時間、恆春からタクシーで約20分

関連記事